mosmosh’s diary

メンタル弱いなりの生きる練習日記です。

病んだ心を癒そうと、心理学系の本を読んだら不調になった。

『「自分の心」をしっかり守る方法』 という本を読んで、

ちょっと不調になった。

著者は加藤諦三氏。この方の本は他にも読んだことがある。タイトルを覚えているのは『心の休ませ方』。他にも読んだけど大昔のことなので忘れてしまった・・・

 

なぜ不調になったのかというと、書いてあったことに、自分のもやもやの正体を解くヒントがあったからだろう。

 

衝撃的だったのは2つ。

 

ひとつめは、自分を肯定できているか。①

 

他人に嫌われたくない、他人に認められたいという気持ちが強い人は、無意識の部分で自分で自分を認めていない。自分で自分にOKを出していれば、他人にどう思われようと気にならない。自分が自分のことを認められないから、他人が自分を認めているのをみて、安心を得ている。

「もし自分が自分のことを肯定的に感じることができさえすれば、他人が自分のことを悪く思っても、それによって傷つくことはないのである。」

 

 

ふたつめは、「敏感性性格的な人々の苦痛」。②

敏感性性格の人は、

人一倍臆病であり、どちらかといえば、きわめて狭い世界に生きていながらも、名誉欲の方は人並み以上に強い」

強い野心や名誉欲があるけれど、おとなしくて内気で、自分の野心を実現す能力がないため、強い自己不全感を感じているという。「実際の自分」がどうしようもなく矛盾した存在で、その存在を受け入れられない。

無力性性格の中核に強力性性格のトゲが刺さっている

内気な野心家というのは、完全に内気にもなれなければ、たくましい野心家にもなれない。この矛盾が本人の中に過度の感情的緊張をもたらす。おそらくそれゆえに、普通の人以上に疲れやすいのであろう

自分の中には無力型と強力型の二つが対立しているという事実を受け入れ、自分をどちらか一方に決め込んでいこうとしないことである。

 

2つとも、自分に当てはまるのである。

 

好きでもない上司に褒められたい、良くやってると言われたいし、八方美人にみんなに愛想良く振る舞うし、他人の顔色を伺う。そうしないと安心して生きていられない。

 

人見知りで、知らない人がくると大人しくなっちゃうし、環境の変化で不調になったりするし、不満があっても文句を言えないし、お先にどうぞ、っていいがち。でも、私はこんなんじゃない、何者かになってやるんだ、みんなとは違うんだ、私が一番なんだ、という根拠のない思いがある。でも、何者でもない。

 

ただ、悶々としている自分が、いるだけ。

 

このように分析されて本に書かれているということは、私のような人間は他にもたくさんいて、じゃぁ、”どうすればいいか”の議論も展開されているというのが救いだろうか。

 

それにしてもショックを受けすぎてしまった。

加えて、こういうひとはこうすればいい、の部分が消化しきれず、

(感謝をする。あるものに感謝をする。と、人の本当のところを見る、とかだったかな・・・)

ショック受けて、病んでる部分を治すとかまでいっていない。

ただただ不調だ。妙に不調で、いつもより人の顔色が気になるし、楽しくない、うつっぽい。

 

ここに傷があるんだねー、とわかっただけ。治療法がわからない。

 

仕方ない、本の中に答えはない、のだ。

 

ただ、悩みとか、なぜできないのかとか考えた時に、問題点がはっきりした時点で

おおかた解決法というのは見えてくることが多いから、この傷も治療法が見つかるのだと思う。

 

あと、いままでも、かなりの不安やうつに襲われたけど死ななかったのだから、今回も死なずに、やり過ごすことができるのではないかと、思えるようになってきた。(いろいろ犠牲は払うだろうけどね。)

 

 

やっと金曜日

体調が悪い。

昨日の夜お腹を壊して、いつものやつだと思って、普段通り過ごしていたけど、

今日、仕事へ行ってみて、体調が悪いのに気づいた。

食欲がない。同僚にランチに誘われてたので行ったけど、全然食べたくない。

いつも、下痢した後はガスが溜まってすごく苦しくなるので今回もそれかと思ったけど

違うっぽい。ガスは溜まってないけど、食欲がない。

タイ料理屋のビーフン(一番お腹に優しそうなやつ)を頼んで、酢をガンガン入れて、

温めるために唐辛子を入れすぎて、むせながら食べた。

食べるのがつらい。からいからじゃなくて、食べるのがつらかった・・・

風邪ひくとお腹にくるタイプなので、風邪とか、なんらかの体調不良だろう。

今週ずっと雨で湿っているのも良くない感じがする。

重たい体で仕事に戻って、”あと、3時間、、、、なんとか、、、”と

体調不良だからいつもよりゆっくり慎重に仕事をした。

同僚が私のハサミを使ってどっか持って行ったのにもイラッとしたし、サンプルを私の机へ置いて行ったのにもイラッとした。

イラッとの敷居が下がってる。

そもそもこの同僚には振り回され気味なのでイラッとしやすいのだが、

今日はその閾値が下がっている。疲れているし、体調が悪いのだろう・・・

自分を労わらなければいけない。

 

いつも、仕事をする時、今日みたいに、テンションをあげず、ゆっくり、粛々とやりたい。

 

この同僚にイラッとするのはなんでだろうな。

週三日だけきて、好き勝手やってるようにみえるんだよね。子供育てて、仕事もして。

好きなことしてるように見えて、うらやましいんだろうな。

わたしは、好きで仕事してるわけではなく、お金のためだし、お金のためだから週五日行かなきゃお金にならないし。五日もいくと飽きるんだよね、三日とかだと飽きなくて、やる気もでて、ちょうどいいんだろうな。そのぶん給料は少ないけど、その給料で足りるってことなんだろうからいいよね。たとえば子供の用事で1日来れなかったとしても他の日に振替できるし。あーあ、いいよなぁ。いま働いてる環境のせいもあるよね。普通の会社とかだったらこんな風に自由が効かないだろうし。はやく離れたいなぁ。一度は離れられたのになぜかまた戻ってきたし・・・。近づきすぎると良くないね。

まぁでも独身の友達とかはみんな、会社に週五日行って働いているし、お金のためだし。わたしもそういう環境だったらこのようなモヤモヤは感じることが少ないのかもしれない。

モヤモヤ・・・

 

とりあえずは、自分の体を休めることに専念しよう。週末だし。

雨で曇りでどんよりしているなか渓谷へ

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ストレス解消には、1日20分自然のなかにいるといい、ということをインターネットの記事で読んだ。

 

ストレスホルモンのコルチゾールを減少させるのに最も効果的なのは、自然を感じられる環境下で20~30分間、過ごすことだ。(ミシガン大学の MaryCarol Hunter 博士)

もとの論文はこれ↓

pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

 

養老孟司先生も、1日に15分でいいから、なにか、自然のもの、人間が作ったのではないものを眺めなさい、とおっしゃっていた。(なんのポッドキャストだったかな)

なんのためだったかな?

 

自然に触れるのが、体にすごくいいらしいから実践しよう。

というわけで昨日は、帰りに雨があがっていたので渓谷へ寄り道した。

 

効果の程はよくわからない。一回ちょっとやったからってわかんないだろうね。

 

でも、雨で濡れた渓谷はいつもよりちょっとジャングルっぽさが増していて、

自然の中にいる感じがした。人が少なかったのもあるだろう。

もうすぐ日没、けっこう暗くなってたので二人くらいしかすれ違わなかった。

 

 

 

新しい人がどんどん参加してくるのがおそろしい

職場にどんどんあたらしい人が入ってくる。

ゆううつだ。あー、やだなぁ。えー、また人増えるのー。

 

上司が、来るもの拒まずタイプだし大変よくできた人当たりのよい人物なので、人がどんどん集まってくる。

私は新しい、知らない人が苦手だ。知らない人がいっぱいのところに自分が新人として入っていくのはまだいい。大体の人は暖かく迎えてくれる。(そうじゃない人もいるけど)。この場合はこちらも、知らない人がいっぱいだ。。。おとなしくしていよう・・・みたいに緊張感をもって、過ごすので、なんとか”もつ”のだ。それに初めから馴れ馴れしくするなんて社会人らしくない感じがするので大人しいくらいでちょうど良い、だんだん慣れていけば良い。

ところが自分が迎える側にたって、暖かく迎える、というのをやるとどうも胡散臭い。別に私のことが好きで入ってきたんでもないし、よく知らない人は苦手だから愛想良くできない。自分のスペースが侵される感じがする。今までの人間関係のバランスが崩れるかもしれないし。いつもの調子で冗談とか言うと舐められるかもしれないし。

いつもの自分(=慣れた人に見せている自分。割とよく話すし、ふざけたりもする)と、新しい人が入ってきた時の自分(=知らない奴とは話したくない、相当な無理をしないと冗談を言ったりもできない、人見知り)にギャップがあるのだ。

人見知りの自分がフレンドリーに振る舞おうとするのはとても辛いし、あ、無理してるな、って自分を客観的に見て、ちょっと恥ずかしく感じる。相手が緊張してるかな、と変な冗談を言ったりしてみたところ、全く反応がなかったりすると自己嫌悪に陥る。

あー辛い。

 

よく考えてみたら、いつもの自分(=慣れた人に見せている自分。割とよく話すし、ふざけたりもする)も、けっこう無理をしている、周りに対してサービスをしている気がする。サービスというか、気分良く仕事をするために気を遣ってコミュニケーションを取ろうとしているというか。ほんとうだったら朝なんて誰とも喋らず作業に没頭したいし、お昼休みも世間話なんかせずにぼーっとしたり昼寝したい。聞き上手なのかもしれないが、こんなことがあったよとか、愚痴とか、聞いてる時間が多いように思う。

 

ここまで書いていて、わかった。私は人当たりが良く、人の話もよく聞くし、親切にふるまっていて、話しかけやすいらしい。そのせいか、人にはあんまり嫌われないで、どちらかというと好かれるのだ。でも、それは、私の努力の結果によるところが大きいのだ。そしてその努力は、結構な犠牲を伴っているように思う。新しい人恐ろしい現象も、この犠牲の一つだろう。”新しい人が苦手な、人見知り”が本当の、無理のない自分で、その本当の自分が、パニックを起こすのだ。

人当たり良い自分が、人見知りの自分に、”ねぇ、ちょっと、なによそよそしくしてんの?親切にしなよ、仲良くしなよ”って言ってくる。人見知りの自分”えー、やだよ、どんな人かわからないんだから・・・”。新人がくるというたびにこのやりとりが脳内で繰り返し行われていて、疲れ果てて鬱っぽくなるのだ。

 

自分のなかにふたつの人格がいて、それが自分を苦しめているとは・・・

 

努力という名の無理が、自分の中に歪みを作ってしまって、それで鬱々としているのだ。この鬱々を解消するには、方法がいくつかあるだろう。

1、職場では徹底して無理を貫き、新人だろうが余所者だろうが人当たり良い人、を貫く。

2、無理をしなくても本来そこそこ人あたりが良さそうだから、コミュニケーションにおいて手を抜き、人見知りの自分に機嫌を伺いながら振る舞う。

3、人見知りの本来の自分を全開でいく。

 

1は、精神の消耗が激しすぎる。自分の中での歪みがどんどん大きくなって病んでしまいそうなので却下。

3は、いままでとのギャップが大きすぎて転職などのタイミングじゃないと周りからの空気に耐えられない気がする。

2は、今考えうる中でもっとも現実的な考え方だと思う。無理をしすぎたいままでの自分を反省し、無理を少しずつ減らしていく。周りに気づかれないように少しずつ・・・きっとそれでも人に嫌われないのは変わらないだろう(という変な自信がある)。相手に合わせすぎず、自分の中にいる”人見知りな自分”を最優先して、人付き合いをしていく。

 

ひとまず、これで”新しい人恐ろしい症候群”への対処法を考えることができた。考えてよかった。でもこれは、”新しい人恐ろしい症候群”だけの話ではない、自分の人間関係においての振る舞い方全般に通じる話になってしまった。