mosmosh’s diary

メンタル弱いなりの生きる練習日記です。

新しい人がどんどん参加してくるのがおそろしい

職場にどんどんあたらしい人が入ってくる。

ゆううつだ。あー、やだなぁ。えー、また人増えるのー。

 

上司が、来るもの拒まずタイプだし大変よくできた人当たりのよい人物なので、人がどんどん集まってくる。

私は新しい、知らない人が苦手だ。知らない人がいっぱいのところに自分が新人として入っていくのはまだいい。大体の人は暖かく迎えてくれる。(そうじゃない人もいるけど)。この場合はこちらも、知らない人がいっぱいだ。。。おとなしくしていよう・・・みたいに緊張感をもって、過ごすので、なんとか”もつ”のだ。それに初めから馴れ馴れしくするなんて社会人らしくない感じがするので大人しいくらいでちょうど良い、だんだん慣れていけば良い。

ところが自分が迎える側にたって、暖かく迎える、というのをやるとどうも胡散臭い。別に私のことが好きで入ってきたんでもないし、よく知らない人は苦手だから愛想良くできない。自分のスペースが侵される感じがする。今までの人間関係のバランスが崩れるかもしれないし。いつもの調子で冗談とか言うと舐められるかもしれないし。

いつもの自分(=慣れた人に見せている自分。割とよく話すし、ふざけたりもする)と、新しい人が入ってきた時の自分(=知らない奴とは話したくない、相当な無理をしないと冗談を言ったりもできない、人見知り)にギャップがあるのだ。

人見知りの自分がフレンドリーに振る舞おうとするのはとても辛いし、あ、無理してるな、って自分を客観的に見て、ちょっと恥ずかしく感じる。相手が緊張してるかな、と変な冗談を言ったりしてみたところ、全く反応がなかったりすると自己嫌悪に陥る。

あー辛い。

 

よく考えてみたら、いつもの自分(=慣れた人に見せている自分。割とよく話すし、ふざけたりもする)も、けっこう無理をしている、周りに対してサービスをしている気がする。サービスというか、気分良く仕事をするために気を遣ってコミュニケーションを取ろうとしているというか。ほんとうだったら朝なんて誰とも喋らず作業に没頭したいし、お昼休みも世間話なんかせずにぼーっとしたり昼寝したい。聞き上手なのかもしれないが、こんなことがあったよとか、愚痴とか、聞いてる時間が多いように思う。

 

ここまで書いていて、わかった。私は人当たりが良く、人の話もよく聞くし、親切にふるまっていて、話しかけやすいらしい。そのせいか、人にはあんまり嫌われないで、どちらかというと好かれるのだ。でも、それは、私の努力の結果によるところが大きいのだ。そしてその努力は、結構な犠牲を伴っているように思う。新しい人恐ろしい現象も、この犠牲の一つだろう。”新しい人が苦手な、人見知り”が本当の、無理のない自分で、その本当の自分が、パニックを起こすのだ。

人当たり良い自分が、人見知りの自分に、”ねぇ、ちょっと、なによそよそしくしてんの?親切にしなよ、仲良くしなよ”って言ってくる。人見知りの自分”えー、やだよ、どんな人かわからないんだから・・・”。新人がくるというたびにこのやりとりが脳内で繰り返し行われていて、疲れ果てて鬱っぽくなるのだ。

 

自分のなかにふたつの人格がいて、それが自分を苦しめているとは・・・

 

努力という名の無理が、自分の中に歪みを作ってしまって、それで鬱々としているのだ。この鬱々を解消するには、方法がいくつかあるだろう。

1、職場では徹底して無理を貫き、新人だろうが余所者だろうが人当たり良い人、を貫く。

2、無理をしなくても本来そこそこ人あたりが良さそうだから、コミュニケーションにおいて手を抜き、人見知りの自分に機嫌を伺いながら振る舞う。

3、人見知りの本来の自分を全開でいく。

 

1は、精神の消耗が激しすぎる。自分の中での歪みがどんどん大きくなって病んでしまいそうなので却下。

3は、いままでとのギャップが大きすぎて転職などのタイミングじゃないと周りからの空気に耐えられない気がする。

2は、今考えうる中でもっとも現実的な考え方だと思う。無理をしすぎたいままでの自分を反省し、無理を少しずつ減らしていく。周りに気づかれないように少しずつ・・・きっとそれでも人に嫌われないのは変わらないだろう(という変な自信がある)。相手に合わせすぎず、自分の中にいる”人見知りな自分”を最優先して、人付き合いをしていく。

 

ひとまず、これで”新しい人恐ろしい症候群”への対処法を考えることができた。考えてよかった。でもこれは、”新しい人恐ろしい症候群”だけの話ではない、自分の人間関係においての振る舞い方全般に通じる話になってしまった。